WALLABEE MAPLE SUEDE X WHITE SOCKS
詳しくはこちら 
最新のお知らせ税込5500円以上送料無料サイズ交換送料無料

STORY – 006

光石研が愛する、人とものの“経年変化”。

1825年にイングランド南西部の小さな町で生まれた<Clarks>。200年近くの時を重ねて今日まで、子供の足を護るファーストシューズの定番として、大人の足元をあらゆるシーンで彩るレザーシューズとして世界中で愛されてきたまさに“ヘリテージ”。長い歴史あるものは、どうして人の心を惹きつけるのか。その魅力を知る人々に出会うインタビューシリーズに今回は、名バイプレイヤーとして数々の作品に出演し、最近ではファッションやライフスタイルにも注目が集まる俳優・光石研さんが登場してくれた。

光石研
光石研 光石研

STORY – 006

光石研が愛する、人とものの“経年変化”。

1825年にイングランド南西部の小さな町で生まれた<Clarks>。200年近くの時を重ねて今日まで、子供の足を護るファーストシューズの定番として、大人の足元をあらゆるシーンで彩るレザーシューズとして世界中で愛されてきたまさに“ヘリテージ”。長い歴史あるものは、どうして人の心を惹きつけるのか。その魅力を知る人々に出会うインタビューシリーズに今回は、名バイプレイヤーとして数々の作品に出演し、最近ではファッションやライフスタイルにも注目が集まる俳優・光石研さんが登場してくれた。

友人に誘われて『博多っ子純情』のオーディションを受けたことをきっかけに俳優デビューされたそうですが、「俳優」になりたいと思った理由は何だったのでしょうか。

1970年代の話で、それまでは自分にとって「俳優になる」なんて選択肢は全くなく、微塵も考えたことはありませんでした。急にオーディションの話がやってきて、友人に誘われるがままに受けたら運良く作品に参加させてもらえるようになった。

そのときに体験した“撮影現場”というものが、すごく面白かったんですね。東京から博多にやってきた大勢のスタッフが作る現場に、17歳になろうとしていたただの北九州の田舎の少年だった僕がポンと放り出されて、毎日ロケバスに乗って撮影してみんなでまた移動して撮影して……。とにかく強烈に楽しくて、それで映画界に行きたいと思ったんです。

このことをきっかけに上京されますが、どのような20代を過ごされたのでしょうか。

東京には憧れていたから、すっかり浮かれてしまいました。今振り返るとその当時は、俳優を就職先に選んだという感じでしたね。「何かの映画や誰かの演技を見て衝撃を受けた」と志したわけじゃなく、演技以上に好きなこともたくさんあった。そんな調子では、もちろんうまくいくわけがない。自分なりに台本を書いてみたり、人に挨拶しに行ったりしたのですが……、仕事もあまりいただけなくなってくるわけです。30代を目前に無視できなくなったのが、「プロの俳優とは」という壁でした。

その壁をどのようにして乗り越えたのですか?

20代は多趣味で、野球やって草サッカーやって、レコード集めて、絵を描いて……と色々していたんです。あるときさすがに「仕事がないのにこんなことしていて良いのか」と思って、全部やめました。そうやって右往左往している間に、バブルが崩壊。映画に大きな金額がかけられなくなって、岩井俊二さんや青山真治さんといった僕と同世代の監督が深夜ドラマなどを撮り始めたんです。そこで声をかけてもらっていくつか出演させていただきました。それまで監督と言えば、10歳、20歳年上というのが当たり前だったので、同世代の監督と切磋琢磨できるのは新鮮な楽しさで、芝居への向き合い方も変わっていきました。でもそれからどうして、今こうやってここにいられているかはわからないんです(笑)。ただ出会いには恵まれましたね。素晴らしい監督に出会ってきたのは僕にとっての財産です。

光石さんがその当時から変わらない部分はありますか?。

元来、気が弱いものですから、真面目ですよ。怒られるのは嫌だし、迷惑をかけるのは好きじゃない。「遅刻しない」、「挨拶をする」という基本的なことですけれど、これは昔から変わらず続けています。あとは、お調子者なところでしょうね(笑)。あまり落ち着きたくない、成熟したくないと思っているんです。40代の頃は突っ張っていた時期もあったかもしれないですが、50代60代は赤ちゃん返り(笑)。ずっとお調子者でいたいし、はしゃいでいて良いじゃない、と思っています。

自然体な様子は、多くの人の共感や支持を集めていると思います。今年上梓されたエッセイ『SOUNDTRACK』でも“経年変化”という言葉を使われていますが、光石さんにとっての経年変化とは?

若い時にある色艶は失われていきますし、かっこつけてもかっこつかないですからね。俳優というのは自分の姿を自分で目にする機会が多い職業なので、いやでも経年変化した様子が目に入ってきます。ものすごくかっこつけて芝居をしたつもりでも、全くよくないことばっかりなんですよ「キメ顔したはずなのに、おかしいなぁ」って(笑)。だから僕は僕で、年齢も止めないで自然体にやっていくつもり。僕にとってはきっとその方が似合っているはずですしね。光石研が、これから急にマッチョになったらこわいでしょ?(笑)でも30代40代の頃は目の前のことに必死で、そんなふうに思っていなかったかもしれません。もっとガツガツしていました。

名バイプレーヤーとして数々の作品に出演され、最近では主演も務めていらっしゃいます。

名バイプレ―ヤーとはみなさんが呼んでくださるだけで、僕としてはなんて呼んで言っていただいてもやるべきことは変わらないんですよ。主役というのも、本来は憧れられたりその人が真似されたりベイブリッジを封鎖したりするものでね、僕がやる主役っていうのはまた違うものですよ(笑)。便宜上、名前を一番前に書いていただくこともありますが、映画は大勢で作っているものです。その考えも昔から変わりませんね。

なるほど。ちなみに“古いもの”がお好きだそうですが、それも昔から変わらないのでしょうか?

そうですね。中学生くらいのときから、古いものが好きでした。当時もスーパーカーブームを傍目に、トヨペットの車や日産のグロリアが好きで……。近所のお兄ちゃんにファッション雑誌を見せてもらったときも、心をときめかせたのはクラシックなアイビーファッション。音楽もそうで、その時々一番流行っているものはあまり好きにならないんです。1970年代後半の世の中がディスコブームの時には、1950年代のリズム&ブルースがソウルミュージックになる頃の音楽に夢中でした。2000年代に入ってからは、ディスコブームの時に流行ったものを聞くようになって……。ちょっとニッチなものにいくと、通っぽく見えるからでしょうか(笑)誰に教わるでもなく、純粋に「良いな」と思うのが昔のものでしたね。ピカピカの新品よりも人の手垢がついている方が愛着が湧くのかもしれません。

でも最近は、物を減らしていこうとしているんです。置ける場所も限られていますしね。好きなものは変わらないので、ひとつ使い古したら次の新しいものを買って……という繰り返しです。クラークスもそうですが、今でも10代のときに印象的で記憶に刷り込まれている物が好きですね。

クラークスも昔から愛用していただいているそうですね。最近はどんなファッションと合わせていますか?

10代の時にはお金がなくて買えなかったけれど、雑誌で見て「うわー、かっこいいな」と憧れていました。20代になって、サンドベージュのデザートブーツをセレクトショップで買ったのが初めてのクラークスです。1970年代にはサーファーの人たちが多くワラビーを履いていたので僕は遠慮していたのですが、最近になって履くようになりました。ワラビーもすごく良いですね。秋口はコーデュロイのパンツに合わせたり、古着のスラックスに合わせたり……。昔からファッションもあまり変わらなくて、僕はこのままおじいちゃんになっていくのだと思います(笑)

光石研
Ken Mitsuishi

1961年9月26日生まれ、福岡県出身。1978年、映画『博多っ子純情』で主演デビュー。以降、数多くの映画、TVドラマ、舞台、CMで多様なキャラクターを演じ、名バイプレイヤーの一人として唯一無二の存在感を放ち続けている。2016年には第37回ヨコハマ映画祭助演男優賞(『お盆の弟』『恋人たち』)、2019年には第15回コンフィデンスアワード・ドラマ賞主演男優賞(テレビ東京系『デザイナー 渋井直人の休日』)と北九州市民文化賞を受賞した。2022年2月には、初のエッセイ集『SOUNDTRACK』(PARCO出版)を上梓。

TOPへ(他の記事をみる)

STAFF CREDIT
ヘアメイク/大島千穂 スタイリング/上野 健太郎 写真/倉島水生 取材・文/平井莉生(FIUME Inc.)