STORY – 003

井浦 新さんが、歴史から学んで得た視点。

1825年にイングランド南西部の小さな町で生まれた<Clarks>。200年近くの時を重ねて今日まで、子供の足を護るファーストシューズの定番として、大人の足元をあらゆるシーンで彩るレザーシューズとして世界中で愛されてきたまさに“ヘリテージ”。長い歴史あるものは、どうして人の心を惹きつけるのか。その魅力を知る人々に出会うインタビューシリーズに今回登場してくれたのは、モデル・俳優・ディレクターとマルチに活躍する井浦 新さん。歴史や芸術にも精通している井浦さんの、本質を捉える価値観に迫っていく。

井浦 新さんが、歴史から学んで得た視点。
井浦 新さんが、歴史から学んで得た視点。 井浦 新さんが、歴史から学んで得た視点。

STORY – 003

井浦 新さんが、歴史から学んで得た視点。

1825年にイングランド南西部の小さな町で生まれた<Clarks>。200年近くの時を重ねて今日まで、子供の足を護るファーストシューズの定番として、大人の足元をあらゆるシーンで彩るレザーシューズとして世界中で愛されてきたまさに“ヘリテージ”。長い歴史あるものは、どうして人の心を惹きつけるのか。その魅力を知る人々に出会うインタビューシリーズに今回登場してくれたのは、モデル・俳優・ディレクターとマルチに活躍する井浦 新さん。歴史や芸術にも精通している井浦さんの、本質を捉える価値観に迫っていく。

モデル、そして俳優のキャリアを歩むことになった経緯を教えてください。

10代の頃は、音楽や映画、ファッションなどのカルチャーに傾倒していて、中でも大好きな洋服に携わる仕事がしたいとずっと思っていました。19歳でスカウトされモデルとして芸能界に入りましたが、ファッションの世界に少しでも近づけるモデルの仕事は僕にとって願ったり叶ったり。1998年には、仲間達と一緒に服屋を始めたんです。僕の人生の転機とも言える映画監督の是枝裕和監督との出会いもちょうど同じ頃。僕がモデルとして活動している様子を目に留めていただいたようで、「会ってお話をしましょう」と声をかけてくださって、是枝監督の映画『ワンダフルライフ』(1999年公開)で俳優としての活動がスタートしました。

モデルと俳優、二足の草鞋で大変だったことはありますか。

当時は今のように職業の垣根を超えてハイブリッドに活躍する人がほとんどいなかったので、俳優の仕事だけを突き詰めている人が多く、僕自身もその生き方に憧れていました。熱を持って役者として身を削っている人たちの中で、知らない世界を見てみたくて未知の扉を叩いた、いわば好奇心からのスタート。だから俳優を始めてから10年ほどは、芝居の難しさを超えたところにある面白さというものもまだ掴み取れないまま漂っている感覚でした。もちろん一つ一つの作品にはとことん向き合って全力で取り組んでいましたが、監督然り俳優仲間や技術スタッフなど、プロの人たちと一緒に作品を作っていると、その熱量に自分は応えられているのか……と葛藤することが多かったんです。でもそんな中で僕を必要として声をかけてくださる映画監督たちがいてくださったのは、今に繋がる大きな救いだったなと思います。

その10年の期間を抜け出せたのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

31歳の頃に、僕の恩師でもある若松孝二監督と出会ったことが大きいです。「ポレポレ東中野」のチラシコーナーで若松監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2008年公開)のカンパのお願いのチラシを見つけたのがきっかけ。今でいうクラウドファウンディング。スポンサーなどをつけずに監督自身がお金を集めて、監督が撮りたいものを撮る。その60年代70年代に多く見られたやり方を若松監督は2000年代にやっていて、痺れてしまったんです。チラシの電話番号に自分から電話して、そこから若松監督が旅立たれるまでの5作品全てに携わらせてもらいました。「この監督の作品に携わりたい!」と自分から動いたことが初めてだったのですが、その一連の行動全てがとても楽しかった。監督にはこれまでやってきた芝居を全否定されてしごかれましたが、そのおかげで新しい芝居の仕方も学べました。今振り返るととてもキラキラした濃い時間だったなと思います。30歳を超えてやってきた、僕の青春時代です。

ブランドディレクターやモデル、俳優など複数のチャンネルを持っているからこそ生まれる相互作用はありますか。

チームでの仕事が研ぎ澄まされていくのを感じます。映画の現場には、監督がいて、俳優部、撮影部や照明部やメイク衣装部があって、各部のプロフェッショナルが集まっているように、この「MIGHTRY」というお店も、社長がいて各部の担当がいる。それぞれが得意なものをみんなが横並びでやっていけると、仕事も気持ちよく進められますよね。どんな仕事でも自分一人では成り立たないので、チームとしての一体感を大事にしています。

縄文土器に関しての造詣も深く、京都国立博物館の文化大使を務めた“歴史好き”としても知られていますが、井浦さんの思う歴史の魅力を教えてください。

歴史のあるものにはロマンを感じます。歴史を掘り下げていった先に感じる、人に興味を惹かれているのかもしれません。例えば、古代の人たちが自然に祈りを捧げるために、山の中に大きな石を何個か積み重ねて祭壇にしたとします。今それを求めて山の山頂に登っていくと、ただ大きな石が重なっているだけにしか見えないのですが、よく見ると明らかにこれは自然にでてきたものじゃなくて人の手によって考えられて重ねられたものだと分かる。雨風を避けるために中に人が入れるスペースがあったり、舞を踊ったと思われる綺麗に整えられた真っ平らな舞台があったり……。そこにあるのは、“人の気配”。歴史や古から学んで得た“過去”の知識を“現在”でアウトプットすることで、違う時代の二つの出来事の交わりを実感できるのも、歴史の魅力です。

歴史から学んだことは、表現する俳優の仕事にも生かされる部分があるのでしょうか。

俳優は与えられた役の数だけ様々な人間を表現する仕事。歴史を通して感じ取った人の気配やイメージを自分の表現のライブラリーに追加することで、自分じゃない誰かになる時に、そのライブラリーからすっと演じたい人物像を引き出せるようになりました。でも、それは俳優を10年続けたから気づいたことだと思います。「いつの間にかいろんな人物を演じられるようになったな」と、気づいたら演技の幅が広がっていた感覚です。俳優を始めて最初の10年は、自分にとって身近で想像しやすい範囲の役や感情の振れ幅でしか演じられなかったけれど、20年を超えた今は、自分から遠く想像がつかない役にこそ挑戦してみたいと思うようになりました。

ファッション好きの井浦さんは昔からクラークスを愛用されているということですが、その出会いについて教えてください。

クラークスはファッションに興味を持っていた10代の頃から、質実剛健でどんなスタイリングにも合う「揺るがないスタンダード」として一目置く存在でした。僕のクラークスデビューはデザートブーツを履いたとき。当時好きだったAラインのファッションのシルエットの土台として、スタイルが決まるように、実際の足のサイズよりあえてかなり大きいサイズを買って履いていたのを覚えています。その後も色々なクラークスをファッションに取り入れてきましたが、今はオーバーサイズでリラックスしたスタイリングにワラビーを合わせるのが僕の定番です。

クラークスには約200年の歴史があります。長い時間を経た今もなお愛されている理由はどこにあると思いますか。

今回改めて知って驚いたのは、原点はシープスキンのラグを作る際に破棄されていた切れ端でスリッパを作ったことだったり、使用する革のシワや色の違いも個性として生かすことでロスを減らしてなるべく地球環境に配慮しているということ。誕生した200年前からずっと変わらずその理念で続いているのが本当に素晴らしいです。自分が昔から手にとってきたものにそんなバックボーンがあると知れて、とても嬉しい。僕は歴史あるもの、すなわち過去に心を動かされますが、それ以上に大切に思っているのは今とこれからの未来。地球にも優しく気持ちよく過ごすために、クラークスのこれからにも注目していきたいです。

井浦 新
Arata Iura

1974年9月15日生まれ、東京都出身。映画『ワンダフルライフ』で初主演を務める。以降、映画を中心にドラマ、ナレーションなど幅広く活動。ブランド『ELNEST CREATIVE ACTIVITY』のディレクターを務めるほか、日本の伝統文化を繋げ拡げていく活動をおこなっている。主演映画『ニワトリ☆フェニックス』が現在公開中、出演映画『こちらあみ子』は2022年7月8日公開予定。

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STAFF CREDIT
ヘアメイク/NEMOTO スタイリング/上野 健太郎 写真/ナタリー・カンタクシーノ 取材・文/平井莉生、野沢愛也子(FIUME Inc.)